逆転する動化

このタイトル「逆転する動化」は、
結論いっちゃうと、ざっくりいっちゃって、
何かをする時に勝手にやっちゃう自分を作れたほうがよくね?的なことを指している。

そりゃ勝手になんでもやっちゃう自分作れたほうが、本来勝手になんでもやるなんてできるはずもない自分からしてみれば、楽な考え方だ。

スタート地点は、必ず手動、つまり地道とか努力というところから始まりはする。

しかしながら、この手動という部分において、馬鹿にできないことがある。

何が馬鹿にできないかというと、
手動の継続を本当に行ってしまうと、逆にいちいち手動で行おうとすることができなくなる要素があるのだ。
分かりやすい言葉でいうと、習慣や癖、である。

特にここではむちゃくちゃ自分に根付いてしまった習慣や癖のことを前提として記していく。
習慣や癖は、手動か自動、どちらで行うものかといえば、自動である。

手動から自動、自動から手動。
この両者のうち、どっちが自分にとって難しいかといえば、自動から手動のほうが難しい。
習慣や癖を直すのは難しいのと同じ。

だから、何かを継続して行いたい時、
手動特有の「いちいち感」は案外その時だけと思ったほうがよくて、
いちいちいちいちやってると、そのいちいちいちいちにいずれ戻ることができなくなる。

人間が努力と感じる部分は、大半がこの、いちいちいちいち、に当たる部分だろう。

いちいちいちいち、は疲れるし、大変なように感じる。
だが、いちいち=努力=疲れたり大変だったり、するのは、いちいちいちいちやってるからだ。

いちいちいちいちやってるからしんどい。
断っておくが、これはいちいちそんなことするなという意味ではない。

いちいちいちいちという手動期間をとっとと卒業しろ、ということだ。

自動化している時は文字通り自動だから、このいちいち感がない。

ここまで読むと、こういう類の疑問が浮かぶはずだ。
「じゃあ、いちいち感を卒業するにはどうしたらいいの?」

答えは簡単だ。
いちいち感に、いちいち反応しなければいい。
この反応の自動化が、手動期間の延長を促進させている。
何度もいうが、自動化するといちいち感を感じたくても感じることができない。
いちいち感を感じる時、いちいちを感じようとして感じているわけではないはずだ。
勝手に、自動的に、「いちいちやっていくの、しんどい」と感じる。だから、この感じる=反応をなくしていけということ。
反応したら、その反応を今後できるだけしないよう、つまり反応を自動化しないよう、手動的に、何かをやることだ。

そうすると、反応の自動化が反応を手動化し、行動の手動化が行動を自動化させ、まさに反応と行動の逆転が起こる。




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